入社前の気付きについて

 

こんにちは。入社を目前に控えた私です。

ついに社会人として会社勤めが始まるわけですが、これに先立ってインターンを始めました。

「入社前に完璧に近い状態にしておいてね」

と言われて配信された大量の課題を前にして、受験生時代をそこはかとなく想起させる時間を過ごしているところです。

思えば、受験生だった頃は、この時期「受験生0学期」などど煽られていましたが、今はまさに社会人0学期として助走をつけている時期ですね。

   

「嘘…。私の社会人力、低すぎ…?」

 

私はLMS(ラーニング・マネジメント・システム)を主な商品として扱う企業に就職したこともあり、幸いにして入社前の研修教材が充実しています。

具体的に何を勉強しているのかといえば、「タイム・マネジメントの基礎」「クリティカル・シンキングの基礎」「アサーティブ・コミュニケーション」など、社会人として基本的な素養を身に着けるプログラムを受けています。

全く知らないことばかり、知っていても言語化したことが無い、計量化したことがないものばかりです。いわば、意識の外にあった事項を意識化に無理やり引っ張り出してパターン化し、反復可能なスキルにしていこうということでしょうが、これが難しい。まさに、自分自身の実力不足を痛感しています。

しかし、この言語化のプロセスで、急速に脳内の思考が整理されていくのを感じています。

そのような中、ソ連の心理学者であったヴィゴツキーが、著書の『思考と言語』の中で、

私は、私が言おうとしていた言葉を忘れてしまった。
すると、具体化されなかった思想は陰の世界に帰って行ってしまう

との詩を引いていたのを思い出しました。

  

思考は、言語によってはじめて形になるとの言説には、私も賛成です。

そして、これは行動にも応用できると考えています。

行動を言語にすることで、初めて形になって、客観視することができる。

すると、こんなことも言えるのではないでしょうか。

言語化された行動を学習することで、自身の行動の言語化(客観視)が促進され、より良い行動パターンを自身の行動に落とし込むことができる。

自分自身の行動をなんとなく見直すことはあっても、言語にしてパターン化する機会は、日常生活の中でほとんど無いのではないでしょうか。少なくとも私は今まで行ったことがありませんでした。しかし、これを行うことによって「できること」「できないこと」「やるべきこと」が自身の中で整然と、自然に整理されます。

このプロセスを繰り返していくことによって、効率よく社会人として得るべき素養を身に着けることができるのではないかと思っております。

孔子の言葉にも、自身の行動を戒めるものとして「吾日に吾身を三省す」とありますが、その第一歩が「行動の言語化」にあるのではないかというのがここまでの気付きです。

いずれにせよ、私の行動を客観視すると圧倒的に社会人としての素養が足りないことが分かったので、まだまだ勉強の日々は続きますね。

  

この思考を陰の世界に帰さないためにも、ここで言語化しておきます。

それでは。

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