皆さん、「漢文」と聞いてどのようなイメージを持ちますか?おそらく、良いイメージをお持ちの人はそうそういないのではないでしょうか。その原因は、漢文の学習を通して何が得られるのか、またその意義が見出しづらいところにあります。今回は、そんな皆さんのために、なぜ漢文を学ばなければいけないのか、系統立てて説明していきたいと思います。

 一応断っておきますが、私は現在の「漢文」教育を否定したいわけではありません。 あくまで、漢文を学習する意義を見出せない方々に、僅かながらでもヒントを差し上げることがこの投稿の目的です。

国の考えは?

 古典教育の目標については、国の教育について議論する場である中央教育審議会において次のような答申がなされました。

「古典探究」は,古典を主体的に読み深めることを通して,自分と自分 を取り巻く社会にとっての古典の意義や価値について探究する科目として,主に古 文・漢文を教材に,「伝統的な言語文化に関する理解」を深めることを重視すると ともに,「思考力・判断力・表現力等」を育成する。

中央教育審議会
幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の 学習指導要領等の改善及び必要な方策等について (平成28年12月21日)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/01/10/1380902_0.pdf

また、 高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)においては、次のような記述がみられます。イメージしやすい部分を抜き出してきました。

(3) 言葉がもつ価値への認 識を深めるとともに,生涯にわたって古典に親し み自己を向上させ,我が 国の言語文化の担い手と しての自覚を深め,言葉 を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う 。(科目の目標)

中学校での学習を踏まえ,高等学校においても引き続き親しむことを重視するととも に,言語文化の担い手としての自覚が深められるよう,我が国の言語文化の特質や,我が 国の文化と外国の文化との関係について理解したり,古典に親しむために,作品や文章の 歴史的・文化的背景,必要な文語のきまりや訓読のきまり,古典特有の表現などについて 理解したりすることに重点を置いて内容を構成している。 (中略)言語文化の特質や,外国の文化との関係についての理解については,「言語文化」では, 我が国の言語文化の特質や我が国の文化と外国の文化との関係について理解すること, 「文学国語」では,文学的な文章を読むことを通して,我が国の言語文化の特質について 理解を深めること,「古典探究」では,古典などを読むことを通して,我が国の文化の特質や,我が国の文化と中国など外国の文化との関係について理解を深めることを示してい る。(中略) 作品や文章の歴史的・文化的背景,必要な文語のきまりや訓読のきまり,古典特有の表 現などについての理解については,「言語文化」では,古典の世界に親しむために,作品 や文章の歴史的・文化的背景などを理解すること,古典の世界に親しむために,古典を読 むために必要な文語のきまりや訓読のきまり,古典特有の表現などについて理解するこ と,「古典探究」では,古典を読むために必要な文語のきまりや訓読のきまりについて理解を深めることを示している。 (中略)

文部科学省
【国語編】高等学校学習指導要領
https://www.mext.go.jp/content/1407073_02_1_2.pdf

 他にも様々な記述がなされているのですが、挙げていくとさらに膨大な分量になってしまいますので、このあたりで…。

そうは言っても…

 学習指導要領に記載されているのは、あくまで目指すべき到達点であり、誰もがそれを達成できるわけではありません。人によっては、「理想論じゃあないか」という感想を持たれる方もいらっしゃることでしょう。それももっともな話で、古典という限られた時間の中で、これらすべてを網羅することは非常に難しく、必ず手薄になる部分が出てきてしまいますし、その上、現場の先生の手腕や知識、さらに言えばクラス内の学力状況に依る部分も大きいのです。

 さらに問題なのは、「漢文」が「暗記科目」に成り下がっていることです。確かに、訓読の決まりを覚えることは、「漢文」の読解では必要不可欠なものですが、上記の指導要領の引用の長さからも察することが出来る通り、それだけが「漢文」の目標ではありません。指導要領に基づけば、授業では、「 我が国の言語文化の特質や我が国の文化と外国の文化との関係について理解すること」であるとか、「 我が国の文化と中国など外国の文化との関係について理解を深めること」の達成のための展開が、本来であればあってしかるべきなのです。しかし、そのような授業を受けたという記憶があるという方は多くないのでしょうか。

 とはいえ、現行の入試制度や、国語の授業内に於いて「漢文」に充てることのできる時間を鑑みれば、漢字の読みや意味、構文的な内容(レバ即、ずんばあらず…etc)といった分野にリソースを割かざるを得ないのはある意味しょうがないのかもしれません。しかし、このことが、結局「漢文」というよりは「受験対策漢文」というような性格を強め、「漢文」への嫌悪感へと、「なぜ漢文を学ぶのか」という根源的な感想に直結してしまっているのは言うまでもありませんね。

そもそも漢文って何?

 さて、なぜ「漢文」を学ぶのかについて記す前に、そもそも漢文とは何であるのか整理しておきましょう。漢文とは何なのでしょうか。漢文は中国語と何が違うのでしょうか。漢字の羅列で成り立っているという点では中国語と「漢文」は共通しています。このことから、『「漢文」をやるなら、「中国語」でいいだろう…。』という意見を耳にしたこともりますが、言ってしまうならこれは全くの見当違いです。「漢文」は紛れもなく日本語です。まずはこのことから話します。

 「漢文」は、大きく3つの形態に分けられます。それらは、白文、訓読文、書き下し文です。

 白文とは、いわゆる原文そのままの状態です。中国語の状態に最も近いもので、返り点の知識がないとニュアンスをなんとなく感じるところが関の山でしょう。最終的にはこれを読み切ることが一つの到達点となりますが、「漢文」の学習ではほとんど扱いません。中学、高校で白文を見かける機会といえば、テストや試験の時に問題として出てくるくらいでしょうか。例えば、問題文中の白文の部分に傍線が引かれて、「傍線部⓷について、これをすべて平仮名で書き下し文にしなさい」のようなものです。多くの生徒が苦手としている設問ですね。

 訓読文とは、皆さんが思い浮かべる「漢文」そのものです。白文に、レ点とか一二点とかいうものがついているもので、漢文の訓読のために日本人が開発したものです。この返り点こそが、「漢文」を日本語たらしめている要因なのです。これについては後述します。

 書き下し文というのは、上の訓読文を返り点の決まりに従って漢字仮名交じりの文にしたもので、普段生活している中で「漢文」の文章を見かける場合は、多くがこの形のものです。例えば、「春眠暁を覚えず」といった形になります。

 ちなみに、私がこの投稿で、徹底してかぎかっこ付きの「漢文」を用いてきたのは、ここに理由があります。上のように、一口に漢文といっても、厳密にはそれを指し示すものは一つではありません。さらに、教育の現場では「文章」そのものを表すと同時に、「漢文の授業」というニュアンスで、単元の名前で用いることも多いです。このような広義の意味での漢文を指し示すため、あえて「漢文」という表記をしつこく書いてきたのです。

なぜ「漢文」を学ぶのか

 話を戻しましょう。なぜ漢文を学ぶのか。それは、

「漢文」は日本の文化の土台だから

 古より日本人は、中国から先進的な文化を取り入れ、自らのものへと消化(昇華)させてきました。文字=漢字から、政治制度、娯楽に至るまで、日本文化の成立には中国の存在を欠かすことが出来ません。 奈良、平安時代以降の漢詩人は唐、宋の時代の漢詩を最高峰の詩作としてモデルと仰ぎました。国風文化と呼ばれる仮名中心の文化が生まれても、その後の貴族などの有力者は、教養の一部として中国文学を必ず学習しました。印刷技術が進歩し、庶民にも書籍がいきわたるようになると、読み書きの学習教材として「論語」が用いられるようになったり、町人の中にも杜甫や李白といった詩人の研究を進める人が出てきたりしました。

 当時の日本人は、中国の文献をより効率的に読み込むために、訓読上での決まり事や法則を文章の中に見出し、体系化していきました。これが返り点です。 先の訓読文の段に於いて、返り点こそが「漢文」を日本語たらしめる要因と書きました。それは、返り点が中国語を日本語へ翻訳するためのツールだからです。 訓読文は日本語として読むことが出来ることから、翻訳済みの形ともいえるでしょう。

 先ほども述べた通り、日本文化の形成には中国からの文書は必須でした。逆を返せば、中国からの文書をスムースに訳すことのできる漢文訓読のプロセスが無ければ、現在の日本文化は存在しなかったかもしれません。

 このことから「漢文」を学ぶことは、日本文化の根幹に触れる作業と同義であり、科目の目標にもあるように、「 言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって古典に親しみ自己を向上させ,我が 国の言語文化の担い手としての自覚を深め,言葉 を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う 」ためには必須の項目となるわけです。また、それは私たちのアイデンティティを学ぶことでもあるのです。

最後に

 いかがでしたでしょうか。この記事が皆さんの漢文学習へのモチベーションへとつながってくれたら幸いです。長くなりましたが、今回はここまで。

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1件のコメント

  1. 国は漢文を教える理由がフワッとしすぎな気がしますね。
    そもそもインドの文化を知らなくても問題ないように、日本の文化を知らなくても問題ないような気がします。

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